このところ世界がギクシャクしている。どうしてあちこちの社会は分断されたのか? 分断を克服するには?
そのようなことを漠然と考えていた。
分断の主たる要因の一つは経済格差。
中間層の没落は政治的にも経済的にも安定を損なう。社会全体が不満と不安でギスギスしやすくなる。
格差への不満が移民への怒りにすり替わったり、過激なポピュリズムが台頭したりする。
世界では、20年以上ぶりに独裁政権(N=91)よりも民主主義(N=88)が少なくなった。リベラルな民主主義は、2024年には世界で最も一般的ではない政体タイプとなり、合計で29。世界のほぼ4人に3人(72%)が独裁政権に暮らしている。これは1978年以降の最高値(V-Dem研究所)で、民主主義はある意味危機的な状況にあるといえる。
分厚い中間層を作り直すために、平等政策と所得再配分(要するに金持ちから税金を取って貧しい人に配る)をするべきだろうか。
そんなことをすると「そのようなアップサイドのない国には居られません。」と言って優秀な人は皆国外に逃げてしまう。それで結局前提となるGDPが下がりますよ、という人がいる。
フランスで2012年に富裕層への「75%課税」が打ち出された際には、「才能ある富裕層がごっそり出国して『太陽なきキューバ』になる」と揶揄する声があった(キューバの皆さんm(__)m/実際には、大脱出は起きなかった)。
それに対しては、既に所得格差の合理性を支えるような自由競争などないよという立場の人や、今貧しいと言われている人でも、昔の人々より、医療、生活環境、コミュニケーション手段など全てにおいて余程恵まれている。どんなに生産技術が発展しても、人間の欲望がそれを上回っているようでは満足はない。供給を増やすことは止めて人々の欲望を抑制すべきだという考えの人も少なくない。
分断の原因にはいくつもの要素があり、メディアの偏向報道やSNS上のエコーチェンバー現象も大きな要素だ。偏ったメディアの報道が視聴者の認識を固定化し、SNSでは人々が同じ意見だけに囲まれ、異なる意見を持つ人と交流しなくなることによって、政治的分断を加速させる。
こっちの方も厄介な問題で、スマホはできれば捨てちゃった方がいいという人もいる(時間術大全・Jナップ、Jゼラツキー)。
そんなところで遅ればせながら「22世紀の民主主義 選挙はアルゴリズムになり、政治家はネコになる」成田悠輔 2022年7月 を読んだ。
22世紀の民主主義 | SBクリエイティブ
世の中の根本を疑え 断言する。若者が選挙に行って「政治参加」したくらいでは日本は何も変わらない。
この本の
2000年以降は、国ごとの民主主義度の高さと経済成長は反比例している。民主主義国家は劇的な決断ができず、かつそれは遅い。それの原因は、粗い粒度の民意しか拾えない政選挙制度と選挙のことしか考えない政治家に由来する。
それなら、民意が拾える大量のデータを機械が処理して民意を抽出して政策を決めたほうがよいではないか。
という提案は新鮮だった。
私も、国政の意思決定のスピードは不満だった。
与野党で調整して法律(他の重要法案があると来期に回されたりする)を作って、更に施行されるのは(周知や激変緩和のためという理由で)制定されてから数年後というのは珍しくない。
決断を早くするためには国会を衆議院だけにして、国会議員は100人、都道府県は多すぎるので道州制にするといいと思っていた。
でも、このような考え方は、民意を国政に反映させる方法は、透明で公正な選挙で代表者を選ぶこと というドグマに囚われていたように思う。
憲法学的にいうと、「国民主権」は、統治権は(君主ではなく)国民に由来することである。そこでいう「国民」というのは、ある程度「抽象的な人々」である。
「国民」が選挙権をもつ具体的な人々に限ると考えると、未成年者は無視していいことになりかねないし、日本国憲法を制定した1946年に選挙権のあった日本国民のほとんど既にこの世にいない。
政治は、世論を正確にトレースした政策をとるべきだとは考えられていない。
この点で、ビックデータを解析して世論を見極め、それに従った政策を作るという考え方は憲法の思想とは異なる。
しかし、ビックデータを解析して世論を見極め、かつ国会が衆知を集めて、より良い国作りを目指して中長期的な視点から判断するということであれば良いと思う。
米国の大統領選挙は、互いに罵り合うことによって、更にパーティ間の分断を助長している。僅差で勝利した大統領は、本来は国民全体の代表者として対立してきた立場の人々の権利にも配慮しながら仕事をするべきだが、反対派には報復し、支持基盤に対するサービスを中心にしている。それは国民主権の趣旨に沿わない。
米国の大統領選挙はやり方を変えたほうがいいのではないか(内政干渉ではなく、個人のツイートです)。
中国では、9割以上の国民には選挙権はない。政権への批判的な言動も許されない。しかし、共産党はその正統性を「経済発展と国民生活の向上」という成果によって示すとともに、世論に関する様々なデータを集めて、ある程度民意を政治に反映して、国民の不満が蓄積されないようしている。
制度が民主主義的かどうかと、政策に民意が反映されているかは無関係といえなくもない状況になってきている。