平成24年3月2日、原子力損害賠償紛争解決センターに対し、当事務所が代理人として申し立てた和解仲介手続において、原発事故による損害賠償についての和解が東京電力との間で成立しました。仲介委員によれば、企業・法人によるセンターを介した損害賠償事件の和解第一号であるとのことです(詳細は、https://www.clairlaw.jp/news/2012/03/news199.htmlをご覧ください)。
今回は、退職の意思表示が錯誤により無効とされた裁判例と、銀行が事前になされた弁護士照会に回答しなかった場合において、預金額最大店舗方式での預金差押えを認めた裁判例を紹介します。
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1 裁判例紹介―東京地裁平成23年3月30日判決
本来、会社が原告を有効に懲戒解雇できない事案で、原告が自主退職しなければ懲戒解雇されると信じて提出した退職の意思表示を無効とした裁判例を紹介します。
2 裁判例紹介―東京高裁平成23年10月6日決定
銀行が事前になされた弁護士照会に回答しなかった場合において、銀行の取扱店舗を特定しない預金額最大店舗方式での預金差押えがなされた事案につき、差押え対象の特定を欠くとはいえないとした裁判例を紹介します。
1 裁判例紹介―東京地裁平成23年3月30日判決
被告Y社の従業員Xが、平成21年5月15日付の退職の意思表示は錯誤(民法95条)があったから無効である等を理由に、Y社に対して、雇用契約上の地位確認と、退職の意思表示以降の賃金・賞与等を請求した事案です。
平成20年12月、Xが出勤時刻を虚偽入力したことが発覚し、会社はXから数度の事情聴取を行ない、調査を行なったところ、他にも多数の出勤・退勤時刻の虚偽入力や、交通費等の二重請求の事実が判明しました。
平成21年3月11日の事情聴取において、Y社人事担当者は、Xに対して、「職を辞して懲戒解雇を避けたいのか、手続を進めるのか。そこをやるだけだ。」「あなたのためを思って人事は言っている。会社に残りたい、これは寝言。」「自主退職を申し出るのか、会社から放逐されるのか、決めて欲しい。」「懲戒解雇は退職金は支払わない。会社は必ず処置をする。」などと迫りました。Xは、事情聴取終了後、企業内労働組合に相談したところ、「会社がそう言っているなら、組合としては何もできない」と回答されたこともあり、翌日、自主退職する旨を回答しました。
その後、平成21年5月、Y社はXに対して出勤停止の懲戒処分を言い渡しました。これに対して、Xが、Y担当者に対して、出勤停止処分となったということは継続勤務できるということかをたずねると、Y担当者は「懲戒解雇に当たるところを、退職をもって責任をとりたいという、その表明がなされたということで勘案して出勤停止になった」と回答し、Xは、退職願を提出して、退職の意思表示をしています。
主として、錯誤の有無が争点となりました。裁判所は、Xが、Y社担当者から前記のとおり言われたことにより、自主退職しなければ懲戒解雇されるものと信じ、懲戒解雇による不利益を避けるために、そのことを黙示に表示して、本件退職意思表示をしたと認定しました。また、Y社が有効に懲戒解雇をなしえなかった場合、Xが自主退職しなければ懲戒解雇されると信じたことは要素の錯誤に該当するとしたうえで、本件虚偽入力や二重請求の態様等を考慮すると、これらを理由とする懲戒解雇は社会通念上相当とはいえず、Y社はXを有効に懲戒解雇することができなかったので、Xの本件退職意思表示は要素の錯誤により無効であると判示し、Y社に対して、Xによる退職意思表示以後の賃金と、賞与のうちの金額確定部分の支払いを命じました。
会社側が従業員に対して退職を交渉する場合、懲戒解雇の可能性を示して退職を迫ることもありますが、そのような交渉方法に注意喚起を促す判決といえそうです(田辺敏晃)。
2 裁判例紹介―東京高裁平成23年10月6日決定
本件において、XはYに対して金銭の支払いを命じる勝訴判決を得ていました。ところが、XがYに対する強制執行の準備として、代理人弁護士に依頼して、第三債務者である銀行に対してY名義の預金の有無や支店名等について弁護士会照会をしたものの、各銀行がYの承諾がないことを理由に回答をしませんでした。そのため、Xは、Yの持つ各銀行の預金口座について、取扱支店名を特定することなく、預金額最大店舗方式による債権差押え命令の申立てをしました。預金額最大店舗方式というのは、複数の店舗に預金があれば、預金の額が最も大きな店舗の預金を対象とし、預金が最も大きい店舗が複数あるときはもっとも店番号が若い店舗の預金を対象とするというものです。原決定は預金額最大店舗方式による差押えが差押え対象債権の特定を欠くとして、申し立てを却下したため、Xが執行抗告をしました。
本件では、預金額最大店舗方式による差押えが差押え対象債権の特定を欠くかが争点になりました。
この問題に関連して、最高裁平成23年9月20日決定は、全支店を対象として、その店番号の最も若い順に差押えるといういわゆる全店一括順位付け方式は対象債権の特定に欠くと判断していました。
差押対象債権を特定するためには、債権差押命令の送達を受けた第三債務者において、直ちにとはいえないまでも、差押えの効力が上記送達の時点で生ずることにそぐわない事態とならない程度に速やかに、かつ、確実に、差し押さえられた債権を識別することができるものでなければなりませんが、大規模な金融機関においては、先順位の店舗では預貯金債権の存否、先行の差押えや仮差押えの有無、普通預金等の種別、残高等を調査する等の作業が完了しない限り、後順位の店舗の預貯金に差押えの効力が生ずるかどうか判明しないのであるから、全店一括順位付け方式では、上記のような速やか、かつ、確実に差し押さえられた債権を識別することができないというのがその理由でした。
本決定は、この最高裁決定を踏まえつつ、預金額最大店舗方式によるとしても、支店名を特定して差押える方式に比べ、預金が最も多い店舗を特定する作業と差押え命令の写しを当該店舗にファクシミリ転送をする作業が加わるだけであり、また本件で第三債務者とされた各銀行が日本を代表する金融機関で、全支店を通じて預金の有無及び残高等を管理するシステムが確立していることに照らして、本件に預金額最大店舗方式を用いても、速やか、かつ、確実に差し押さえられた債権の識別が可能であると判断しました。
そして、本決定は、以上に加えて、各銀行が正当とは言い難い事由により預金の有無及び支店名等を開示しなかったため、預金額最大店舗方式を取らざるを得なかったにもかかわらず、債権差し押さえの申立てを不適法とすれば預金債権に対する民事執行を事実上断念させる結果になり妥当でない旨も併せて示し、結論として、対象債権の特定に欠くといえないとしました。
前記最高裁決定後、支店名を特定しない預金の差押えに消極的になりつつあるなか、本決定は例外的に支店名を特定しない預金の差押えを認めた点で注目されます(佐藤亮)。