今回は,去る2月3日に言い渡された「村上ファンド事件」の控訴審判決,「預金者の共同相続人の1人から預金口座の取引履歴の開示を求められた銀行は,他の共同相続人の同意がないことを理由に開示を拒めるか?」についての最高裁判決をお送りします。
1 裁判例紹介−「村上ファンド事件」東京高裁平成21年2月3日判決
平成21年2月3日,村上ファンドの元代表者,村上世彰氏のインサイダー取引刑事事件(旧証券取引法違反)の控訴審判決がありました。
第1審の東京地裁は懲役2年の実刑判決でしたが,控訴審の東京高裁は,第1審判決を破棄し,懲役2年,執行猶予3年とする判決を言い渡し,追徴金11億4900万6326円と罰金300万円は第1審と同額としました。
インサイダー取引とは,株価に影響を及ぼす重要な会社情報に接近できる特別の立場にある者が,その特別の立場ゆえに重要な情報を知って,その情報の公表前に株式の取引を行うことです。
インサイダー取引を被害者のいない形式犯のように受け止めている人もいるかもしれませんが,それは大きな間違いです。
公表されていない重要な事実を知っているインサイダーは,当該重要事実を織り込んで株価を評価し,それを知らない人に当該重要事実が開示されていれば到底受け入れらないような高い(あるいは安い)株価で取引するので,取引の相手方はこの詐欺的な行為によって大きな損害を蒙ることになります。そして,このようなインサイダーが横行すれば,株式市場に対する信頼が失われ,取引に参加する者がいなくなり,株式市場が崩壊する可能性があるのです。
株式会社ライブドア(以下「ライブドア」といいます。)が株式会社ニッポン放送(以下「ニッポン放送」といいます。)の株式の公開買付をすることを決定したという事実はニッポン放送の株価に重大な影響を与える情報です。通常であれば,「公開買付者等が…公開買付け等を行うことについての決定をしたこと」(旧証券取引法(現金融商品取引法)167条2項)に該当します。この情報の伝達を受けた人が,この情報が世間に公表される前にニッポン放送株を買えば,この取引はインサイダー取引となります。
村上氏がライブドアからニッポン放送株の大量取得の方針を聞いたのであれば,村上氏がインサイダー取引を行ったことは明らかといえそうです。しかし,当時のライブドアがニッポン放送株の公開買付をする方針を決定していたとしても,仮にその方針決定が,自社の資金力等を精査する前の単なる思い付きレベルのものだったらどうでしょうか。村上氏は,そのレベルの話を聞いただけでも,その後にニッポン放送株を買えばインサイダー取引を行ったとして刑事罰を受けることになるのでしょうか。本件では,「決定」(同法167条2項)に該当するかどうかを判断するに際して,決定された内容の実現可能性の高低を考慮すべきか,という点が解釈上の争点の1つになりました。
第1審判決は,決定の内容となる公開買付等の実現可能性が全くない場合は除かれるが,あれば足り,その高低は問題とならない,と判示しました。この判示の基準によると,インサイダー取引が広く認められやすいことになります。
これに対し控訴審判決は,決定はある程度の具体的内容を持ち,その実現を真摯に意図していると判断されるものでなければならず,その決定にはそれ相応の実現可能性が必要であり,主観的にも客観的にも,それ相応の根拠をもってそのような実現可能性があると認められることが必要とし,具体的には,対象企業の特定状況,対象企業の財務内容等の調査状況,公開買付実施のための内部の計画状況と対外的な交渉状況などを総合的に検討して個別具体的に判断すべきであると判示し,第1審の基準を誤りであると明確に否定しました。この判示の基準によれば,インサイダー取引の成立範囲がより狭くなっています。
もっとも,控訴審判決は,第1審判決が平成16年9月15日時点で決定があったと認定したのは事実誤認であるとしつつ,それよりも後の同年11月8日時点で,実現可能性のある決定がなされたと認定したので,結局,第1審同様,有罪の判断になっています。第1審判決に比べてより厳格な控訴審判決の基準に照らしても,インサイダー取引に該当すると判断されたことになります。
ただし,控訴審は,村上氏が得た情報がインサイダー情報に該当するとの認識自体も強いものでなかったこと,村上氏が社会的に強い非難を浴びて株取引の世界から身を引いていること等の事情を挙げ,執行猶予判決を言い渡しました(田辺)。
参考:旧証券取引法(現金融商品取引法)167条2項
2 裁判例紹介−最高裁平成21年1月22日判決
最高裁判所は,去る1月22日,預金者の共同相続人の1人から被相続人の預金口座の取引履歴を開示するよう求められた金融機関は,他の共同相続人の同意がないことを理由として当該取引履歴の開示を拒絶することはできないと判断しました。
この事件の第1審(東京地裁平成18年11月27日判決)は,原告である共同相続人1人からの上記開示請求を認めない旨の判決をし,他方第2審(東京高裁平成19年8月29日判決)は,開示請求を認めるという反対の判決をしており,最高裁の判断が注目されていました。
まず,共同相続人が預金口座の取引履歴を開示できるかどうかという前提として,そもそも預金者本人がいかなる根拠で自分の預金口座の取引履歴を開示できるのかについて判示しました。
最高裁は,預金契約の法的性質について,預金者が金銭を預け,金融機関がこれを返還するという消費寄託の性質のみならず,預金契約に基づいて金融機関の処理すべき事務には振込入金の受入れ,各種料金の自動支払,利息の入金等,委任事務ないし準委任事務の性質を有するものも多く含まれていると指摘しました。そして,委任契約や準委任契約においては,委任者は委任者の求めに応じて委任事務等の処理の状況を報告すべき義務を負うところ(民法645条,656条),これは委任者にとって,委任事務等の処理状況を正確に把握するとともに,受任者の事務処理の適切さについて判断するためには,受任者から適宜上記報告を受けることが必要不可欠であるためと解し,このことは預金契約において金融機関が処理すべき事務についても同様であるとしました。したがって,金融機関は,預金契約に基づき,預金者の求めに応じて預金口座の取引履歴を開示すべき義務を負うとしました。
次に,共同相続人の1人が当該預金口座の取引履歴を開示請求できるかどうかについて,「共同相続人の1人は,預金債権の一部を相続により取得するにとどまるが,これとは別に,共同相続人全員に帰属する預金契約上の地位に基づき,被相続人名義の預金口座についてその取引履歴の開示を求める権利を単独で行使することができる(民法264条,252条ただし書)というべき」であるとし,共同相続人1人からの取引履歴開示請求を認めました。
今までは,本件のような開示請求について応じるかどうかは各金融機関の自主的な判断に委ねられていましたが,本判決は金融機関の開示義務を正面から認めたもので,金融実務に与える影響が少なくないため,ご紹介しました(鈴木俊)。
参考:民法264条,252条ただし書,645条,656条
最高裁平成21年1月22日判決
http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20090122111638.pdf