読書感想 自分とか、ないから。教養としての東洋哲学・しんめいP 

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「自分とか、ないから。教養としての東洋哲学」
書籍詳細 - サンクチュアリ出版  を読んだ。

この本は、中身もいいけど、一番最後の「解説」と「あとがき」が印象的

解説は、この本の監修を引き受けたあとステージⅣの大腸がんが見つかって手術したけど、脳に3センチの転移があったが、この本のおかげで全くメンタルのダメージがなく、むしろがんであることを僥倖としてガン遊詩人として、遊戯三昧で逝きます(鎌田東二京大名誉教授・宗教哲学者)というもの。

著者は、あとがきに、東洋哲学に入っていくコツは知識を目的にしないこと、東洋哲学にたどり着いた時点で、その人はかなりこじらせているのいるので「東洋哲学を知っている自分」をつくりあげて、まわりがバカに見えたら終わりです。仏陀もお手上げ。完全にぼくの話です。ほんとすいません。
ということを書いている。

本編では、「空」の教えなどについて、ミッキーマウスはいるかいないか?などアプローチが面白い。
確かに、TDLのパレードでミッキー(中に人間が入っている、)が出てきたときの大勢の観衆のキャーっとなる心の動き、そのような動きを作り出すミッキーの存在感は、並みの有名人では到底かなわない。どっちが、実在に近いのだろうか。いるけどいない。いないけどいる。色即是空 空即是色 中村元先生のお話よりも分かりやすいような気がする。

個人的には、禅のチャプターは、達磨さんではなく道元さんを書いてほしかった。
例えば、道元は宋に渡ったとき、宋の港で、食材を買いに来た老僧侶に宿に泊って話を聞かせてほしいと頼むが、食事準備があると断られる。道元が、そのような仕事は若者に任せ、より高尚な修行に励むべきではないかと尋ねると、老僧はこれを笑い、「あなたは修行とは何かわかっていない」と言って帰った。また、暑い日に海藻を干している老典座(食事係のお坊さん)に、そういう単純肉体労働は若い人にさせたらどうですかと提案すると、老僧は「人にさせたら修行にならない、今しないでいつするの」と返した。道元は、これらの経験によって、日常の実践こそが修行の姿だと悟るとか、興味深い話がいくつもある(Q:曹洞宗ですか? A:はい、檀家です。 笑)

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古田利雄

主にベンチャー企業支援を中心に活動しています。上場ベンチャー企業、トランザクション、NGC、Canbas等の役員もしています。

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