2012年ころ、父が創業して弟が手伝い50年続いた古田食品を畳んでピザ店を出したことがありました。
古田食品は、私が生まれたときに父が創業した会社です。父は母と結婚したときは、他の食品メーカー(主な商材はソース)の営業マンをしていたのですが、私が生まれる直前にその会社は倒産したのです。
今なら顧問弁護士に頼んで、「残念ながら当社は業績不振で破産の申し立てをするので裁判所から連絡があるのを待ってください。」という受任通知を出せば事務的に進むようになりましたが、当時は債権者が押し掛けてきて感情的な対応をすることもあり、社長一家は夜逃げをするような時代でした。
営業マンだった父は押しかけてきた債権者の対応をしていたとき、いくつかの取引先から「奥さん臨月なのに大変だね。とりあえず車の運転の仕事があるからうちに来ないか?」などと誘われたそうです。
父は、仕事もなくなったし、金もないし、長男は生まれるし(子供にとって誇れる父になりたいし)、、、しかし、ここでまた誰かに雇ってもらってもそこがまた潰れるかもしれないし、、、と悩んだそうです。
父も母も兄弟姉妹が多かったので、長男が生まれると出産祝いが集まります。父はそのエンジェルラウンド?を利用して既存の営業先に食品を卸すメーカーを始め、その後は日本の高度経済成長に乗って順風な経営が続き、子供達(私、弟、妹)も無事学校を出ることができました。
(余談ですが、私が弁護士として中小企業やベンチャー支援にこだわったのも、中小企業の経営で苦労する親父の背中を見て育ったからだと思います。)
しかし、バブル崩壊(1991年~)以降は、どこでもそうだったと思いますが、大手の取引先は下請けメーカーを叩くようになり、忙しくても利益がでないようになっていきます。
私の中学時代の友達には親が自営業の子が多く、ファミリービジネスを承継した人が何人もいますが、生き残った人は利益が出ない取引先とは縁を切り、新天地を探した人が多いと思います。
ということで、創業から50年経ったころ、古田食品は畳んで商売替えをしようということになりました。
何をするか?が大きな問題でした。
いろいろ考えたすえ(実はあまり深く考えていなかったことが後からわかる)、古田食品の工場設備があるので、そこをセントラルキッチンにして多店舗展開できるような外食産業をしようということになりまいた。
コンテンツは、粗利のとれる粉もの(うどん、そば、タコ焼き、丼、パンなど)のうち、デフレになっていないもので、簡単に作れるもの、、、ということでピザにしました。
ピザの生地になる小麦、トマトソース、プロセスチーズはとても廉価で、25センチくらいのナポリピザの原価は50円以下です。調べてみると、名古屋や大阪では、直径25センチのマルゲリータを350円で1日千枚くらい売る店がありました。
追加トッピングやドリンクなども売るので売り上げは年間2億を越えます。何店舗か出せば本部経費も賄えるようになるはずです。
ピザ専用の焼き窯は、温度が400度近くと一般的なレストランが使うオーブンより高温です。一般的なオーブンでピザ生地を焼いてもピザ専門店的なナポリピザにはなりません(逆にピザ窯の通常温度設定ではグラタンなどは焼けません。)。
このため、ピザ専門店のピザは(特殊な技術がなくても)普通のイタリアン料理店のピザには負けないのです。
、、、とあれこれ調べ、有名シェフにもレシピを書いてもらってピザ店を出店したのですが、様々な問題に直面し、しばらくして事業の継続を諦めました。
今回のコラムは、そのときの経験をもとに書いたものです。
ここで紹介したのは基本的なことで、実際は、競合先が書いたとしか思えない悪意に満ちた食べログコメントなど様々なことがありました。
ご笑覧ください。 コラムは↓
https://www.innovations-i.com/focus/2586.html