子供の頃からずっと目が良かった。目が良いことぐらいしか良いところがなかった。
しかし40を過ぎると老眼になり、細かい文字はリーディンググラスのお世話になるようになった。
50を越えてからは遠くのものがダブって見えるようになった。
毎年受ける人間ドックでは、黄斑変性症による乱視だと言われた。
会議で出てくる会計資料等が小さいフォントだと老眼鏡がなければ3と8が区別しづらくなり、そのうち5と6も怪しくなった。
ドライバーショットのボールがどこに行ったのかも見えなくなった(もともとあまりまっすぐには飛ばない、、、)。
本が大好きなのに、本を読むのが面倒になる。毎月4、5冊届く法律情報雑誌を読むのも億劫になってきたのには参った。
特に左目が悪く、視力は0.6を切るようになった。
免許の更新は裸眼でできているので、もっと目が悪い人からすれば大した事ないと思うだろう。しかし見え方の感じ方も相対的なものだと思う。
子供の時から目が悪い人は皆メガネの扱いが上手い。
彼らのメガネは何故かいつも綺麗だ。私のようなメガネビギナーはメガネに触るたびにレンズを汚す。
彼らは眼鏡をかけたままラーメンを食うことができ、風呂に入ることもできる。
なんでも裸眼でクリアに見えていた者にとって目が悪くなると言う事はショックで苦痛なものなのだ。
乱視は治療できないと諦めていたが、春先に知人の眼科医によく見てもらったら少し濁っていることがわかった。しかも彼は乱視ではないと言う。
そこで、母さんに貰って長年お世話になった水晶体には交代してもらうことにし、7月にお茶の水の日大病院で手術をしてもらった。
事前の検査は、瞳孔を開く目薬をさして、眼球に光を当てて覗き込んだり写真を撮ったりする。
機械で目を測って、水晶体のところに入れるレンズの設計をするらしい。
これは結構まぶしい。しばらく我慢していると自然と涙が出てくる。
大人になってからこれほど涙を流した事はなかった。
もちろん採尿・採血・心電図なども行う。
担当のO医師は、やはり左目の正面の部分に大きくはないが白濁した部分があると言う。
左目眼底に黄斑変性症があるので、水晶体をレンズに変えてもあまり見え方が変わらないかもしれないとも言う。
ちなみにO医師は、35歳位で最近の俳優さんのようなイケメンだ。キリッとした表情で説明する姿を見ていると、現場で医療行為をしているより医師の役でドラマに出た方が良さそうだと思う。
当日の朝8時半に病院に行く。担当のH看護師は、若くて小さくて白くて目がくりっとしており、ハキハキかつテキパキしていた。テキパキ脈をとり、ハキハキ説明してくれる。説明している間にズボンを脱いで手術着に着替えろと言う。
白内障の手術は概ね以下のような段取りで行われる。
入院手続きを済ませる。
手術着に着替え帽子を被る。
ナースステーションの前で車椅子に乗ってオペ室に向かう。
オペ室では氏名生年月日を確認し、私の左腕に巻かれたテープのバーコードを読み込む。
手術室内では軽音楽がなっている。
時々コンピューターの音声が、ステップ one とかready とか話す。この声は、米国の電話会議システムにかけた時に"welcome!,,,,"と応対する女性の声に似ている。
白内障の手術は、年間何十万人も行うようなパターン化されたものなので、このガイド音声で作業工程の抜け漏れがないようにするんだと思う。
心電図の端末を胸につけ、血圧を測る。
抗生物質の点滴を始め、指先に酸素量の検査機械をつける。
医師や看護師が順に自己紹介をする。
自分ではいつもと変わらないつもりでいたが血圧が高くなっていると言われた。
心の中では目にメスを入れるのが怖いのかもしれない。ゆっくり深呼吸をする。
手術台に乗ったらいくつかの目薬をさす。ヨード液で目の周りと眼球を洗う。少ししみる。
車の板金塗装するときのように顔に目だけが出るようにテープを貼る。
修理しやすいように目を大きくした状態でテープで固定しているようだ。
「しているようだ」と言うのは.この段階では自分がどうなっているかよくわからないのだ。
オペが始まる。
眼球に2.4ミリほどの切り込みを入れ超音波を当てて水晶体を乳化させる。
スパゲッティーのペペロンチーノを作る時ソースが乳化するように茹で汁を足したりするが、こっちはサラサラのものを乳化させるのではなく、加齢によって硬くなってきたものを柔らかくさせる工程である。その後これを吸引する。
水晶体は水晶体嚢という膜で覆われている。吸引して空になったこの袋に四つに折りたたんだレンズを入れて中で開く。
開いたレンズの位置を直して完了である。
この間約15分。
痛みはないが、点眼薬がしみる。
麻酔をされているが圧迫を感じる時もある。15分間ライトを見続けているのは辛い。
Mの人はこれを楽しめるのか???とか、今回左目だけで良かったなどと思う。
病室に戻って血圧を測ると正常値に戻っていた。
12時半から役員をしている会社の取締役会があったので、電話会議にしてもらって参加する。
右目で資料を見るのだが、眼帯をしている方の左目もキョロキョロしてしまう。
左目の角膜から水晶体までを切ったばかりなので、あまりキョロキョロしない方が良いだろうと思う。
電話会議は幸い短めに終わる。
白内障の手術はすぐに終わり、日帰りもできると聞いていたので、手術が終わったら御茶ノ水を散歩しようと思っていた。
少し前に隣の法科大学院で2年間会社法を教えたこともあってそれなりに土地勘もある。
しかし大きな絆創膏の眼帯を貼られてしまったので、外を歩くのは憚られる。
暇なので病院内のコンビニに行って紅茶とスナックを買いに行く。
コンビニでレジを待つ間、自分の腕に巻かれているバーコードをリーダーに通したら幾らと表示されるだろう? と試してみたい気持ちになった。
翌日には、眼帯が外れた。東京の景色を片目づつ見ると、左は右より建物が20%大きく見える。これは、入れたレンズの設計によるものだ。たしかにクリアになった感じがする。両目で見ても違和感はない。1週間後の術後検査では、左目の視力は0.6から1.2まで回復していた。
読書も車の運転も楽になりました。