フジサンケイビジネスアイにコラム書きました。
このコラムは、雑誌、テレビなどのメディアが加害者と被害者をあまりにもステレオタイプに報道し、それを受けて一般の人々の中にもやや過激と思われるコメントをされる人がいたので、それに対する違和感を書いたものです。
弁護士になると、「なぜ弁護士は犯罪者(=悪い人)の弁護(=肩を持つ)をするのか?」と聞かれることがあります。
弁護士はなぜ犯罪者の弁護士をするのでしょう?
法学部では、刑事裁判は当事者対立構造なので、検察官がネガティブな側面を強調し、弁護側がポジティブな側面に光を当てることによって、中立的な立場の裁判所が公平な判断をすることができる可能性が高くなると習います。
私は、オウム真理教の信者の弁護士をしたことがあります。(それは当時プロボノ活動として刑事弁護委員会に所属しており、これらの被告に弁護人が付かないと裁判が始められないから、名簿順に割り当てられたからですが、)
また、国選弁護事件を受けると、窃盗、薬物乱用、傷害などの累犯者やヤクザから話を聞くことになります。
そういった経験から思うのは、「悪いところだけの人間はいない」ということです。
自分は善良な部分だけで成り立っていると確信できる人はほとんどいないでしょう(そういう人こそ悪人なのかもしれません、)。
弁護士は、被告人になってしまった人間について、裁判所、被害者、世間、そして被告人自身にも、正しい被告人の姿を理解させるために弁護をするのだと思います。
このコラムに書いたとおり、犯罪は大幅に減少しています。それは、社会が成熟してきていることを証左です。それなのに、いたずらに体感治安を下げるような報道は意図的なミスリードというほかありません。
刑事政策学には、ラベリング理論という考え方があります。周囲がある人に対してネガティブなラベルを貼り付けると、その人は逸脱行動をとる(とらざるを得ない)というものです。
可塑性に富む少年に対して、実名報道をしたり、風貌の写真を公表したりして、更生の芽を摘み取れば、その害は社会に戻ってくるでしょう。
※ フジサンケイ ビジネス アイには、2015年1月から、毎月、コラムを書いています。紙媒体の新聞と上記サイトに毎月22日から24日ころに掲載されます。
ご笑覧ください。