今週の週刊朝日の「あれも食いたい。これも食いたい」(東海林さだお)を読んで。
テーマはカルピスだった。
確かに、リアルちびまる子世代(60年代生前後)では、カルピスは清涼飲料の代名詞だった。
各家庭は、カルピスを、お中元/お歳暮という形で入手する。
当時は、親戚間でも、お中元/お歳暮が徹底されていたような気がする。
子供たちは、友達の家に上がると、そいつの母ちゃんが作ってくれたカルピスを頂く。
家を後にしたとき、「カルピス薄かったな。」とか、「カルピスあんま入ってなかったな。」みたいな確認をし、翌日学校で、「あいつの家のカルピスは、ほぼ水だった。」的なことを言ってからかうこともあった。ちょー懐かしい。
自宅でカルピスを作るときも、濃度の問題には常に悩まされたものだ。なんとなく薄いような気がしたかと思うと、甘すぎたりして、バッチり決まるということがなかった。ちょー懐かしい。確かに、濃すぎると甘いだけで、乳酸菌飲料としての持ち味であるほのかな酸味が分かりづらくなるので適切ではない。しかし、濃すぎるという問題に逢着することはあまりなかった。
母親や兄弟がいるところでカルピスをつくるシチュエーションでは、他人のカルピスの濃度について干渉するという問題もあった。その問題が、紛争に発展するという事態もあった。あー、懐かしい。
カルピスソーダが発売されたとき、多くの子供たちは(オレを含めて)衝撃を受けた。
薄める工程があるからカルピスなのであって、10年間そうやってカルピスと付き合ってきたのであって、今更、「最初から混ざってるから、混ぜなくていいよ。濃度の悩みももうないよ。」と言われても、多くの子供たちは(もちろん、オレを含めて)、このイノベーションをどう受け止めてよいのかわからなかった。最初から希釈されているカルピスに対して、欺瞞の臭いすら感じた(ような気がする。)。
カルピスオンリーの時代、今から見ると、やはり日本は貧しかったと思う。
日本は貧しくて、大きい冷蔵庫は買えなかった。カルピスの原液を水道水か井戸水で割って、氷を入れて清涼飲料水とする必然があった(ような気がする。)。
日本経済が力強く成長し、日本人がエコノミックアニマルと呼ばれるようになり、核家族化が進展すると、エコノミックアニマルは、大きな冷蔵庫を買うようになった。
カルピスからカルピスウォーターへの歴史的な流れは、冷蔵庫の大型化などの背景事情があったと主張しても理論的な蹉跌はないような気がする。
東海林さんは、言う。中高年で話題に詰まったら、カルピスの話を持ち出せば盛り上がると。
カルピス:
1919年日本で初めての乳酸菌飲料カルピス発売。
カルピス社は、2007年、味の素の完全子会社になるが、2012年に全株式がアサヒ飲料等を傘下に持つアサヒグループホールディングスに譲渡され、同社の完全子会社となった。
1973年 カルピスソーダ発売
1991年 カルピスウォーター発売
ソーダが先行したのは、保存中の成分分離など技術的なハードルがあったらしい。
http://www.calpis.co.jp/products/calpis/index.html