武士道と日本人

最近の話題

あまりアカデミーヒルズは行かないのだが、「武士道」好きなので、山本博文先生(東大大学院教授)のお話を聞きに行った。

新渡戸稲造が書いた「武士道」は、1900年(明治33年)に出版され、30以上の言語に翻訳されて世界的ストセラーになっている。

この企画は、Discover Japan とのコラボ企画で、入場時に、をくれた。

スピーチの概要は以下のとおり。

新渡戸の「武士道」は、
「名誉」(人が亡くなった後にも残る評判)を背景とした「忠」(目上に対する忠実)を最上の徳目とし、
「忠」を支えるものとして、「義」(人の道)、と「礼」(道理の尊重)、
さらに、これらを「勇」「智」「仁」「信」「克己」が支える構造になっているという。

これらの徳目は、たとえば、「悲しみや苦痛を表現せず、最も苦しいときに笑みを浮かべる。」という民族的特徴を生んだ。
苦痛の感情を吐露することは、徳目が低いことの表明=不名誉なことであり、周囲の人を不愉快にし、平穏を乱す無遠慮な振る舞いで礼を欠く。

武家時代は、イイクニ作ろう鎌倉幕府から始まるが、「名誉」と「克己(忍耐)」は、1500年代には、既に武家だけでなく、一般の人々にも広く備わっていたという。
というのは、そのころ、日本を訪れた外国人宣教師たちは以下のように書き記していた。

・「日本人は今まで我々が発見した国民のなかでも最高であり、、、何よりも名誉を重んじますが、貧しいことを不名誉とは思っていません」(フランシスコ・ザビエル)
・「我々は家が焼ければ、大いなる悲しみを面(おもて)に出す。日本人はこういうことを軽く過ごす。困ったときに薄笑いを浮かべるのは、日本では品位のあることとされている。」(ルイス・フロイス)
・「日本人は、全世界でもっとも面目と名誉を重んずる国民である。もっとも下級の職人や農夫と語るときでも、我々は礼節を尽くさなければならない。日本人は、自分の苦労や悲嘆を口にせず、一切の悪口を嫌悪する。日本人は、怒りを制御することを誇りとしており、上長が激昂して侮辱的な言葉を発すれば、その上長を教養のない、下級の人物とみなすので、日本人にそのような振る舞いをすることは慎まなければならない。」(アレシャンドロ・ヴァリニャーノ)
・「彼らは名誉に関すること、自分の庇護している者のためには、簡単に命を捨てることも厭わない。」(ジョアン・ロドリゲス)
・「(1855年の東海大地震)によって生じた災厄にも拘わらず、落胆せず、不幸に泣かず、男らしく仕事に取り掛かり、意気消沈することも殆どないようであった。」(ペルリ提督日本遠征記)

新渡戸の「武士道」では、武士道が、「名誉」と「忍耐」という美徳を広めたとしている。しかし、山本先生曰く、これらの外国人の残した記録などから、「名誉」と「忍耐」は、日本人の国民的気質であるいう理解が一般的だという。


私は、新渡戸の「武士道」は、たまに読むし、ヨットに乗りに来て友達になった外人には勧めてきた。海外の古典を織り込んで、これだけの内容を英語で執筆出来る当時の新渡戸のインテリジェンスには驚嘆する。
私が、セミナーなどで「契約書のドラフトの仕方」を話すとき、「日本で契約書が発達しなかったのは、口頭の約束が正確に履行されるから、契約書は必要なかったからです。「武士道」読むとわかります。」と話すこともある。

この講演の後段の部分によって、「名誉」と「忍耐」は、日本人全体の気質であり、古今の大震災後の日本人の態度を比べてみても、現代の大半の日本人にも備わっている特性だということもわかり、新鮮だった。その背景に、儒教や仏教の影響があることはいうまでもない。昨今の体罰問題にしても、名誉心の強い日本人に対しては、例えそれが子供であっても、侮辱的な言動は指導にならないことがよく分かる。

さて、貰った本に、「名家家訓 武家10箇条」として、

1 嘘を言わない。
2 利己主義にならない。
3 礼儀作法を正す。
4 上の者にへつらわず、下の者を侮らない。
5 人の悪口を言わない。
6 約束を破らない。
7 人の窮地を見捨てない。
8 してはならないことをしない。
9 死すべき場では一歩も引かない。
10 義理を重んじる。

が引用されていた。

これを読んで、昔、法律の勉強を始めたときに、最初に出会った「カルネアデスの板」という問題を思い出した。

難破船のクルーが一片の板切れにしがみついた。もう一人の生き残りクルーが、その板切れにしがみつこうとしたが、そうすると二人とも沈んでしまう。そこで、最初のクルーは後から来たクルーを突き飛ばし、男は自分の命を守った。しかし、突き飛ばされたクルーは溺れて死んだ。この場合、男は殺人罪になるか? というものだ。

法的には、男の行為は、殺人罪の予定する行為に該当するが、被害者の命と同じ重さを持つ自分の命を守るために已むを得ずに行ったので(侵害した法益と守った法益がイコールなので)、違法と評価しない(違法性がない)と考えるのが一般だ(緊急避難という。)。

しかし、武士道の行動規範に従い、自分の名誉を守るならば、利己主義は許されず、溺れそうになって窮地にいる人を見捨ててはならず、死すべきときは潔く死ぬべきだということになるから、平然と「オレ、泳ぎ得意だから、コレやるよ。」とか言って、その板切れは後から来たクルーに与えてあげるということになるだろう。 

これは、かっこ良すぎる。恰好つけるのが武士道ともいうことができるような気がする。

さらに進めて、MJサンデル先生のトロッコ問題(暴走トロッコが右に行くと5人轢く、左に行くと1人轢く、運転者ならどっちに行く?)に当てはめるとどうなるのか?

武士道でも簡単に解決できなそうだが、武士はくよくよ考える存在でなく、行動する者だから、左に舵をとり、轢いてしまった人の遺族に対して十分な償いをするのかもしれない。

Category:最近の話題

TAGS:日本人論 武士道 新渡戸 忠義 名誉 忍耐 山本博文

著者
古田利雄>
古田利雄

主にベンチャー企業支援を中心に活動しています。上場ベンチャー企業、トランザクション、NGC、Canbas等の役員もしています。

その他のブログ記事

最新ブログ記事